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和歌山地方裁判所 昭和28年(行)4号 判決

原告 平岡卯之助

被告 和歌山労働者災害補償審査会

主文

本件訴はこれを却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、訴外中谷菊次郎の昭和二十七年五月十四日の肋骨及び下顎骨々折の負傷に関し、橋本労働基準監督署長が同年十月十七日なした治癒時期昭和二十七年九月三十日、障害等級第十二級の十二との決定に対し、被告が同訴外人からの審査請求に基き昭和二十八年七月十一日なした審査決定中右訴外人の負傷による障害は身体傷害等級第九級に該当するものと認める、との部分を取消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、その請求の原因として陳述した要旨は、訴外中谷菊次郎は昭和二十七年五月十二日から原告に雇傭せられて原告所有の和歌山県伊都郡高野町大字細川字桑原谷七百八十三番地の十一地所において立木伐採作業に従事中同月十四日午前十一時半頃伐採木の倒壊に因り業務上の傷害を受け、同日伊都郡妙寺町紀北病院に入院第四、五、六、七、八肋骨々折及び下顎骨々折並びに開放性気胸による皮下気腫に対する療養を受けたが右負傷に関し、橋本労働基準監督署長は昭和二十七年十月十七日治癒時期を昭和二十七年九月三十日障害等級を第十二級第十二と決定したから、同訴外人の負傷はその重大なる過失に基くものと思はれるので、原告としては不満であつたが、同訴外人が全快して退院するまでの間の診療費約八万余円の外、橋本労働基準監督署長の命令指示に従い、休業補償費二万二千円及び療養補償費五万六千円を昭和二十七年十月十七日同訴外人に支払つて円満に解決した。

しかるに、これを不服とする訴外中谷菊次郎の審査請求に基き、被告は昭和二十八年七月十一日附をもつて下顎骨骨折及び歯牙の骨折につき身体傷害表第十級の二、肋骨々折については同等級表第十二級の第十二に、各該当するものであると認めた上労働基準法施行規則第四十条第三項の規定により、同訴外人の傷害等級を一級繰上げ第九級とする旨審査決定したことを原告は昭和二十八年九月二日了知した。

しかしながら同訴外人の業務上の傷害につき、さきに橋本労働基準監督署長の認定した第十二級の十二が正当であるに拘らずこれを却けて同訴外人の身体傷害を第九級となした被告の審査決定は事実を誤認し、労働基準法の適用を誤つた違法な審査決定であるから、その取消を求めるため本訴請求に及んだ、と謂うにある。

被告代表者は、本案前の裁判として、本件訴はこれを却下する、との判決を求め、その答弁として、被告が原告主張の審査決定をなしたことは相違ないが、右審査決定は、当事者間の権利義務に何等法律上の効果を及ぼすものではないから、原告が本訴においてこれが取消を求める権利保護の利益を欠くものといはなければならない。よつて本件訴は不適法として却下せらるべきものである。

かりに右主張が容れられない場合として、原告の請求を棄却する、との判決を求め、答弁として、原告主張の事実は、訴外中谷菊次郎の傷害が自己の重大なる過失に基くものであるとの点円満に解決したとの点及び被告の審査決定が違法であるとの点を除きその余は全部認める被告の審査決定は、被告において適法に調査決定したもので、何等違法ではない、と答えた。

理由

被告が原告主張の審査決定をなしたことは被告の認めるところであるが、先づ本件審査決定が果して行政訴訟によつて取消又は変更を求め得る、いわゆる抗告訴訟の対象となし得るかどうかについて判断する。

行政訴訟によつて取消又は変更を求め得る行政処分であるためには、関係当事者の権利義務に法律上の効果を及ぼす行政処分であつてこれが取消又は変更をなすにつき法律上の利益を有する場合でなければならない。

さて労働基準法第七十七条は使用者の労働者に対する業務上の負傷等の場合の障害補償義務を定めると共に、同法第八十五条第一項は、補償の実施に関し、労働者が使用者とその主張を異にし、使用者の補償の実施に関し異議があるときは、労働者は第一審として管轄行政官庁である労働基準監督署長に対し審査又は事件の仲裁を請求することができると定めているが同法第八十六条第一項において、もしこれに対し不服のある者は、更に第二審として労働者災害補償審査会の審査又は仲裁を請求することができる旨定めて居り、又同法第百十九条第一号によれば、使用者において右傷害補償義務に違背するときはこれに対して一定の刑罰をさえ科することを定めているけれども、だからといつて、そのことから直ちに労働者災害補償審査会の審査又は仲裁が抗告訴訟の対象となり得るものとなす訳にはいかず、これが決定をなすためには民事訴訟制度や、労働基準法の他の規定等を勘案して考えなければならない。

元来当事者間の権利義務の存否につき法律を適用して最終的に当事者を拘束する判断を下すべき職権を有する国家機関は司法裁判所の外にはなく当事者が傷害補償の権利義務の存否に関し、最終的な判断を受けるためには結局民事訴訟によらなければならないことは同法第八十六条第二項の規定に照らして明かであるが、これを同法第八十五条第一項、第八十六条第一項の規定等と対照して考えてみると、労働者の災害補償の実施に関する行政官庁又は労働者災害補償審査会の審査又は仲裁の制度はもともと災害補償の内容や方法についてはとかく当事者間に紛争が多く当事者が民事訴訟による解決を得るためには多額の費用と長期の日子を要する状態にかんがみ使用者に比べ一般に経済的弱者の地位にある労働者を適切に保護するためには、紛議をできうる限り迅速に解決するよう図らなければならない必要があるので、行政官庁である労働基準監督署長や、又は労働者災害補償審査会をして、事実関係につき必要な調査をなした上、適切な審査又は仲裁をなさしめ、当事者をして自発的にこれを尊重することによつて、民事訴訟の提起に至らない以前において、可及的に多数の紛争を円満に解決せしめようとの意図の下に設けられたものであり、したがつて右審査又は仲裁は、当事者のこれによる自発的な解決の場合の外何等の法律的効果をも当事者に及ぼす性質のものではなく、当事者が災害補償に関する紛議につき、法的拘束力をもつ最終的決定を得ようとするならば、ひつきよう民事訴訟により司法裁判所の裁判による確定をまたなければならないが、ことこゝに至るまでの前段階においてできうる限り当事者の円満な解決を図る目的をもつて民事訴訟を提起するにはその前提として、必ずまず労働者災害補償審査会の審査又は仲裁を経なければならない旨を定めたものと解せられる。

さすれば被告のなした本件審査決定は、原告と訴外中谷菊次郎との間の障害補償の権利義務につき別に法律上の影響を及ぼすべき行政処分とはいい得ないから、行政訴訟によつてこれが取消又は変更を求め得る対象となし得ない。

よつてこれが取消を求める原告の本訴請求は法律の許さない不適法な訴としてこれを却下すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 亀井左取 北後陽三 黒崎正敏)

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